考えてばかりで、結局なにもできなかった日。
そんな日は、あとから振り返って「時間をムダにしたかも」と、自分を責めてしまいがちです。
頭の中ではずっと考えていても目に見える行動がないと、何も進んでいないような気がしてしまうんですよね。
僕も、同じように立ち止まってばかりの時間を過ごしてきました
だからこそ、「動けなかった=ダメだった」と決めつけてしまう気持ちも、よく分かります。
でも最近は、その時間を少し違う角度から見られるようになってきました。
この記事では、考えていた時間や動けなかった判断を、無理に前向きに変換するのではなく、
「そういう日もあったよね」と置いてみるための整理を書いています。
考えてばかりで手が止まると、自分を責めてしまう
何も進んでいない気がする不安
考えてばかりで手が止まると、「今日は何もできなかったな」と感じてしまいます。
頭の中で考えていても行動として目に見えないと、何もしていない気がしてしまうんですよね。
周りを見ると、どんどん進んでいる人が目に入ったり、「とりあえずやってみよう」という向かい方が正解のように見えて、自分だけが止まっているような感覚になることもあります。
そうなると、不安はさらに大きくなっていきます。
「時間をムダにしたかも」という感情
不安が大きくなると、次に出てくるのが自己否定です。
「あの時間、ムダだったかもしれない」と、自分を責め始めてしまう。
僕も、以前は迷っていた時間を振り返って、「あのとき決断できなかった自分が悪い」と思っていました。
でも、よく考えると、その時間は何もしていなかったわけじゃない。
色々と考えていたけど、行動という目に見える形じゃなかっただけなんですよね。
立ち止まったこと自体を失敗のように感じてしまう。
でも本当は、その迷いの中にも、ちゃんと理由や背景があって意味があるはずです。
なぜ、立ち止まった時間をムダだと感じてしまうのか
前に進むことだけが正解だと思ってしまう理由
僕たちは、「動いている=正しい」「止まっている=悪い」という考え方に、知らないうちに慣れています。
結果が出ること、前に進むことが評価されやすい環境にいると、立ち止まる選択はどうしても弱く見えてしまいます。
だから、迷って考えている時間も、本当は必要なプロセスなのに、「前進していない」という理由だけで価値がないように感じてしまう。
これは個人の問題というより、そう思わされやすい構造の中にいる影響も大きい気がします。
考える時間が評価されにくい仕組み
考えている時間は、外から見えません。
考えたことをメモをする、というような見える形にでもしない限り、「何もしていない」ように見えてしまいます。
でも実際は、この選択をしたらこうなるという予測をしたり、失敗した場合にことを想像したり、かなりエネルギーを使っています。
それでも評価されにくいから、自分自身でその時間を認めてあげる必要があります。
そこを忘れてしまうと、「動けなかった=ムダ」という短絡的な結論に行き着いてしまうのかもしれません。
僕自身が、動けなかった時間をどう捉え直したか
家族や仕事を考えて止まっていた頃の話
僕にも、考えてばかりで何もできなかった日があります。
家族のこと、仕事のこと、いろんな要素が頭に浮かんで、手が止まってしまうんですよね。
当時は、その判断をあまり肯定できていませんでした。
「やらない理由を探しているだけじゃないか」と、自分を責めていました。
でも、時間が少し経ってから振り返ると、目先の作業よりも優先順位が高かっただけなんだなと思います。
「守るための停止」という考え方に変わったきっかけ
今は、あの時間を「大切なものを守るための停止」だったと捉えています。
色々なことを考えてから進むタイミングだったから、手が止まっていたのかもしれません。
もし無理に進んでいたら、失っていたものもあったかもしれない。
そう考えると、動けなかったことも、ひとつの判断だったと思えるようになりました。
もちろん、今でも迷いますし、立ち止まってしまう日はあります。
でも、そのたびに「前進だけが全てじゃない」と、思い直すようにしています。
動けない日のハードルを、意識的に下げてみる
行動できない日にも残せる小さな事実
それでも、「何かはした方がいい気がする」と思う日もあります。
そんなときは、行動のハードルをかなり下げるようにしています。
動けない日は、動けない日なりのやり方をとりましょう。
たとえば、「今日はこれをやった」と言える事実を、ひとつだけ残してみます。
それだけで、「完全に止まっていた日」にはならない気がします。
メモ1行・画面を開くだけという選択肢
具体的には、メモを1行書く、画面を開くだけ、そんなレベルで十分です。
やる気が出なくても、気持ちが重くても、それならできるはずですから。
大きく進まなくていい。
今日何かできた事実がひとつあれば、それで十分。
明日は、今日より少しだけ動けるかもしれない。
そのくらいの温度感でいいと思っています。
立ち止まった日も、あなたなりの判断だった
全部が前進じゃなくていいという考え方
立ち止まった時間を、あとから「ムダだった」と思わなくても良い。
迷ったからこそ、やらない選択で守れたものがあったかもしれません。
前に進む日もあれば、止まる日もある。
それは失敗ではなく、状況に合わせた判断のひとつだと思います。
少しして動き出せたら、それで十分
動けない日があっても、少ししてまた動き出せたら、それで十分。
常に全力で進めたら良いですが、実際は日によって波があります。
上下しながらも、毎日1歩でも前に進めているなら、それで良いと思います。
考えて立ち止まる時は全力で考えて、全力で立ち止まる。
動ける時は全力で動く。
そんな感じで良いと思います。


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